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2017年4月19日 (水)

愛人契約の歴史について

愛人募集掲示板を見てふと思い出すことがありました。
愛人契約とは日本に限った話ではなく、世界中で行われています。
ではいつ頃から行われるようになったのか、愛人契約の歴史について紹介します。
昔は愛人という言葉が使われずヨーロッパでは公妾、日本では妾・側室という言葉が使われていました。
ヨーロッパでは側室制度が許されていなかったキリスト教のヨーロッパ諸国の宮廷で近世に採用された制度です。
宮廷なので、一般市民ではなく身分の高い人のみ許された行為だったと言えます。
また現代の日本人の感覚としては、愛人とは公の存在ではありませんよね。
社会や家族に愛人の存在がバレないように隠している人が多いでしょう。
しかし近世のヨーロッパでは公妾の報酬金はなんと公式に王廷費の支出という扱いで、社交界へも一緒に参加していました。
ただし存在自体は認められていたものの、公妾が生んだ子供には相続権は認められていませんでした。
そして権力争いに巻き込まれたり、貴族や一般市民からの恨みの対象になるなど立場は不安定だったと言えます。
また日本でも愛人契約の前身に該当する妾の歴史は古く、飛鳥時代には存在したという記録が残されています。
ヨーロッパと同様に身分が高い人が妾を作り、その存在は公然と認められていました。
そして戦国時代など男色が流行った時代では、武田信玄や上杉謙信など男性を愛人として囲っていました。
江戸時代になると将軍が側室を持つ事は当たり前とされていました。
江戸時代の将軍は朝廷と江戸幕府と円滑な関係を築くため、正妻は政略結婚で公卿の出身者が選ばれていました。
そして自分の血を引いた後継者を残す為、大奥が誕生したのです。
また江戸時代は将軍だけでなく、一般の武士も側室を持つ事がステイタスとされていました。
明治時代になっても江戸時代からの流れは引き継がれ、高級官僚は側室を作るのが当たり前の時代です。
ちなみに明治天皇や大正天皇は、天皇の正妻の子ではなく側室の子でした。
側室と妾はほぼ同じ意味で使われますが側室は同じ屋敷に同居し、妾は別の屋敷に囲われていたため居住スタイルに違いがあります。
そして今でもセレブの間では同じような感覚が残っていますが、愛人を囲う事は醜態ではなくステイタスの一種だったのです。
しかし現在は愛人の存在は公認されていません。
なぜこのような変化が現れたのかというと、女性が教育を受けるようになり自立し意識が向上したためです。
加えて合理的な現代社会で愛人という存在は、非合理的な存在だと認識された訳です。

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